故 大濱信泉
明治24年10月石垣市登野城で出生。昭和29年9月早稲田大学総長就任。昭和51年2月正三位勲一等旭日桐花大綬章受章。昭和51年2月逝去。
故 鎌倉芳太郎
明治31年10月香川県氷見上村長生で出生。昭和32年紅型型紙600点を沖縄に返還。紅型技法保存、育成に貢献。昭和58年8月従五位勲四等旭日章綬章受章。昭和58年逝去。
故 宮良長包
明治16年3月石垣市新川で出生。明治45年1月、教育唱歌に関する論文「唱歌題目について」を発表。昭和11年作品集「琉球の新民話」を出版。昭和14年逝去。
故 宮良當壯
明治26年石垣市大川で出生。大正8年國學院大學に進学し、方言学や民俗学を学ぶ。国際音声記号を用いて全国方言調査研究に従事。その研究実績が認められ文学博士の学位を受ける。日本の方言研究に先駆的な業績を残した。昭和39年逝去。
玉那覇有公
昭和11年石垣市大川で出生。昭和36年城間栄喜氏に師事。昭和38年に独立し、古典柄を中心に制作。昭和45年の沖展に初出品以来、各工芸展に出品、入賞。平成8年、国指定重要無形文化財紅型保持者人間国宝に認定。
故 岩崎 卓爾
明治2年宮城県仙台市で出生。石垣島測候所の新設に伴い赴任。テンブンヤーヌウシュマイ(天文屋の御主前)として住民に慕われていた。八重山の自然生態や歴史、民俗に対し強い関心を持ち、十数種類に及ぶ動植物の新種を発見。南島研究の先駆者として活躍した。昭和12年に逝去。
宮城信勇
大正9年石垣市新川で出生。多年にわたり、地道に八重山に関する資料の収集と研究に精励し、八重山の方言に深い愛情を感じ20有余年にわたって消滅が危惧された石垣方言の記録に情熱を燃やし「石垣方言辞典」を刊行。本土復帰の大きなうねりの最中の昭和43年からは琉球政府企画局長を務め、要職の任を全うし、行政においても大きな足跡を残している。